Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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3.「汎優生主義」のリミット――事例としての<ヒミズ>
以下の論述では、『ヒミズ』の読解を通じて、「汎優生主義」の限界を抽出してみたい。
 『ヒミズ』は、「ヤングマガジン」2001年9号から2002年15号にかけて連載された古谷実のコミック作品である。筆者が参照したのは、連載とほぼ並行して講談社より2001年7月から2002年7月にかけて刊行された「ヤンマガKC」シリーズの4巻本である。本論では、本作品を「より生存に値する/値しない」という価値軸が浸透した<我々自身の無意識>が偏在的なものとなった世界における個人の問題を提起した事例として考察する。 (注10) 
 以下の論述では、主人公の少年の言葉が物語の展開の順序に沿って分析されるが、その際、対応する物語の提示は行わない。物語の枠組みは、そこで鍵となる素材として扱われる「統合失調症」や「(反社会的)人格障害」等の描かれ方と同様に、図式化を免れてはいない。しかし、この図式化は、それぞれの臨床像の枠組みであるDSM4-R(米国精神医学会診断統計マニュアル第4版改訂版)やICD10(WHO国際疾病分類第10版)といった診断基準が内包している図式化に対応している。
少年の言葉の分析:第一巻
1.「オレは「自分も特別」などと思い込んでいる「普通」の連中のずーずーしいふるまいがどうしても許せん ぶっ殺してやりたくなる」(1-7)
物語全体を包み込むのは、この「普通」というテーマである。我々人間には、<普通/特別>という階層序列が前提されている。だが、この前提は必ずしも意識されているものではなく、むしろ無意識として機能している。「普通」の人間による<普通であること>の境界侵犯(身分不相応な言動)は、他ならない「普通」の人間からの殺意を誘発する。
2.「情けない奴だ 実に情けない お前 超弱い遺伝子」(1-13,14)
ここでの「弱さ」と「情けなさ」は、「遺伝子」という言葉によって結びつけられている。すなわち、「弱い」ことの根拠は「遺伝子」である。「弱さ」の根拠が「遺伝子」という「生まれつき」であり、「修復不可能」であるからこそ、「実に情けない奴」という情動が生まれる。ここに、我々の言語と情動のコントロールが見て取れる。注目すべきことは、この言葉が1と同一人物に向けられていることである。その人物は、どこから見てもどうしようもない、(少年と同年代の)文字通り「情けない奴」として描かれている。場面1では、「特別」ではないのだから、「超弱い遺伝子」のお前も「普通」だとされていた。だとすれば、本来なら「普通」から没落するはずの「超弱い遺伝子」の持ち主さえも、やはり「普通」に含まれるという「普通」の持つ自己矛盾的性格が語られていることになる。と言うのも、「超弱い遺伝子」の持ち主もなお「普通」だと言えるのか、むしろ「弱い」その程度(超)において「特別」ではないのかという疑問が生じ得るからである。だが、ここでは、「超弱い」は「普通」に属するのに対して、「超強い」の方は、おそらく「特別」に属している。従って、「普通」の持つ自己矛盾的性格の根底には、強/弱という階層序列が存在していたことが分かる。
3.「……それより何より ……たまに見える…… お前は何だ!!? ちがう! ちがうぞ!! …あれは目の錯覚だ! オレは普通だ! …正常な中学生だ!!」(1-47,48)
少年は、「統合失調症」の症状(幻視)に出会う。ここにおいて、自分が理解する「普通」は「正常」を意味するはずだ、すなわち、「普通」である自分は「正常」であるはずだという「普通」への少年の必死のすがりつきが見て取れる。だが、このとき、「正常」は「普通」へと飲み込まれていく。「普通」へと飲み込まれていく「正常」とともに、少年の自己(同一性)もまた拡散し消失していく。
4.「…オレと正造は高校へは行かない…… 中学出たらすぐに働くんだ(中略)オレはここでのんびりボートを貸す たぶん一生… ここには大きな幸福はないがきっと大きな災いもないだろう オレはそれで大満足だ どうだ? お前からしたらクソのような人生か?」(1-51,52)
「どうだ?」という少年の言葉の前後は、深い溝が隔てている。「どうだ?」の前は、このとき中学生である少年には珍しいほど<去勢>された言葉である。しかし、この言葉が意味するはずのものは、「どうだ?」以降の言葉によって呆気なく消失する。すなわち、ここで示されているのは、「お前からしたら」という階層序列化の眼差しに囚われた少年の姿である。この眼差しに囚われている限り、少年を含めて、誰であれ<去勢>は不可能となる。
5.「正確に言うと元とーちゃん オレの中で「死んだら笑える人」No.1の男だ 世の中にはよ… いるんだよ 本当に死んだ方がいい人間が 生きてると人に迷惑ばかりかけるどーしようもないクズが」(1-54)
少年の血縁上の父親は、物語において断片的にのみ描かれている。しかし、明らかに、現行のDSM-4-Rによって「反社会的人格障害」とされる事例である。一般に「反社会的人格障害」は、仮に精神科治療の対象となった場合でも、「予後」(治療効果の見通し)が悪いとされる。より明確にいえば、治療困難または治療不可能とされる。その理由は、「汎優生主義」のもとでは生まれながらの欠損に求められることになるであろう。この解釈は、<我々自身の無意識>を媒介にして、実は少年が共有しているものである。ここでの深刻なテーマは、<我々自身の無意識>によって治療・矯正不可能とされる者との「遺伝的つながりとしての親子関係」を、少年が決して受容できないということである。しかし、この受容不可能性は、「遺伝的つながりとしての親子関係」を否定することもできないという葛藤と不可分である。親(であった者)を受容できないが否定もできないという袋小路だ。
6.「…オレは勝負しない… 夢というリングに上るどころか見もしない だから殴られる心配もない…… オレの願いはただひとつ…… オレは一生誰にも迷惑をかけないと誓う!! だから頼む! 誰もオレに迷惑をかけるな!!!」(1-62,63)
ここでは、それだけはなりたくはないことに限って実現してしまう「自滅的予言」が表現されている。「汎優生主義」への無意識的抵抗は、少年の無意識自体が<我々自身の無意識>に浸透されているため不可能なものである。自己否定の対象となった少年の欲望は、自らを放棄して階層序列からの離脱を試みるという最も危険な形を取る。これ以降、放棄されながらも完全には抹消され得ない少年の欲望が、自滅への欲望(ニーチェのいう「無への意志」)として展開していく。
少年の言葉の分析:第二巻
7.「…たまたまクズのオスとメスの間に生まれただけだ… だがオレはクズじゃない オレの未来は誰にも変えられない 見てろよ オレは必ず立派な大人になる!!」(2-21)
言うまでもなく、ここでの「たまたま」という偶然性の主張には何の力もない。「クズ」の遺伝子しか受け継いでいないオレという自己否定の罠に陥った少年にとって、クズである他ないオレはクズじゃない(オレはクズである他ない…)という際限のない袋小路だけが残される。「立派な大人」という転移の対象も見守る者もいない場で、「立派な大人になる」という宣言の意味は、他者の欲望を欠いた(同時に自己の欲望を失った)オレが自滅へと向かうことでしかない。
8.「…… ……死ね みんな死ね」(2-55)
<他者>が欠如しているため、少年にとっての<他者>は全くの空虚としての「みんな」に置き換えられる。同時に、この「みんな」へとオレの空虚さが投影される。ここにおいて、オレ=みんな=他者一般が攻撃対象となる。従って、少年にとっては、「オレ」の攻撃/自殺か「みんな」の攻撃/抹消かという選択だけが残される。(注11)
9.「クソォ!!! 全部あいつだ! 全部あいつのせいだ!! お前のせいでオレの人生はガタガタだ!! いつもみじめな気持ちでいっぱいだ!! わかるか!! お前はオレの悪の権化だ!! 死ね!! 死んで責任をとれ!!(中略)もう…ダメだ! もうダメだ!!」(2-83,84,85)
少年にとって、父=法=象徴的秩序は、「オレの悪の権化」という言葉において空無化している。父=法=象徴的秩序が空無化しているため、以後、少年の自滅への歩みは誰一人止めることのできない「宿命」となっていく。この「宿命」を前にして、否応なく「症例シュレーバー」が、そしてシュレーバーの<父>が想起されるはずである。あいつ=お前=父が、死んで責任をとることはあり得ない。「もうダメだ」という少年の言葉には、こうした自己の宿命への思いが凝縮している。
10.「…オレが普通じゃないからこんな事になるのか?… ちがうだろ? …オレじゃなくたって………」(2-103)
「こんな事」とは、少年が父親を殺したことを指している。だが、少年は本当に「父親を殺した」のか? むしろ、少年にとって、それは「不可能なこと」ではなかったのか? もはや、少年にとって「普通じゃない事」は存在しない。「ちがうだろ?」という言葉は、「普通」からの脱出はもう不可能だ、またはもともと不可能だったという叫びである。今や少年にとっては、「こんな事」も「普通のこと」に違いないし、「オレじゃなくたって」誰だってやってしまう「普通のこと」、すなわち「不可能なこと」に過ぎないのだ。
11.「…悪い奴はどいつだ? …悪い奴はどいつだ? …オレはもう普通じゃないぞ…… 特別な人間だ…… 気を付けろ…悪い方で特別だぞ… ごみ同然のあまった命…」(2-115,116,117)
にもかかわらず、というよりもそれ故にこそ、「オレはもう普通じゃない」。しかも「悪い方で特別だ」。「普通」が無際限に階層序列化される「汎優生主義」のもとでは、「普通」はいかなる「普通じゃない事」も潜在的な可能性として内包するからである。どんな不幸(普通じゃないこと)も、結局は相対的な評価/階層序列化の対象=「普通の事」に過ぎない。「普通」の持つ完璧な袋小路的性がここにある。
少年の言葉の分析:第三巻
12.「要するに クズとクズの間に生まれるとそいつもほとんどクズになると… そんなクズ遺伝子は世の中からなるべく早く滅びる方向でって事か? 厳しいですな~~~」(3-98)
すでに象徴的秩序が空無化した後で、一見醒めた眼差しで「汎優生主義」に対する認識が語られるが、あくまでも他人事としてである。この認識を自分自身のこととして引き受ける<自己>は、すでに消失している。
13.「世の中には頭の悪い奴がたくさんいるんだ…そういう連中はいくら考えたってどうにもならない…じゃあどうする? …すべての答を行動で出していくしかないだろう?」(3-108)
「頭の悪い奴」とは、他者とのコミュニケーション関係が、<我々自身の無意識>によって乗っ取られ空無化した者たちを意味している。あるいは、生まれつき(=「超弱い遺伝子」により)宿命的に乗っ取られる他ないような者たち。それは、決して自己の思考が発動しない状態に閉じこめられた者たちである。こうして、<我々自身の無意識>に駆動された「行動」のみが「すべての答」となる。
少年の言葉の分析:第四巻
14.「自分で自分をコントロールする自信をなくすってのも…けっこう怖い事だな… …次のきっかけをもらったら自分がどう反応するかわからない… 自分で自分を信用できない… それは要するに「もうどーでもいいや」って事といっしょだろ? …すごいな… とうとう最低の無責任野郎に成り下がったワケだ…」(4-7,8)
「汎優生主義」のもとでは、「責任」、すなわち<他者>の呼びかけに対する応答可能性とその現実化の試みは空無化される。「自分で自分をコントロールする」こととは、そのような他者の欲望に応える転移関係の生成と言語化のプロセスが作動していることを意味する。従って、逆にここでの「最低の無責任野郎」とは、<他者(性)>を喪失した<自己>の喪失状態を意味する。
15.「わかってる そんな事は分かってるんだ…… …………バカがバカを殺す…それでいいじゃないか……」(4-70)
これは、本章の導きの糸となった言葉である。ここでの「わかってる そんな事は分かってるんだ」という言葉は少年の独白である。だが同時に、それは日々繰り返される<我々自身の無意識>の声=<幻聴>に対する応答でもある。この言葉が表現する「汎優生主義」の限界とは、以下のことを意味する。無際限の階層序列化のプロセスに組み込まれる個々人の生存は、同時に、完璧に対象化されてしまうという意味において、我々の生活世界における居場所を失う。このような状況における個々人の生存は、お互いの存在を抹消し合うことで自滅に向かうのである。
おわりに
 本論の終わりに、物語『ヒミズ』最後の場面での少年の言葉を取り上げたい。
少年の最後の言葉
「………やっぱり………ダメなのか?… ……どうしても…無理か? (……決まってるんだ)…そうか……決まってるのか……」(4-182,183)
物語の最後で、少年は、幻視が発する声=幻聴に出会う。物語において、幻視はしばしば登場するが、幻聴が幻視とともに登場するのはこの場面が始めてである。すなわち、この最後の場面では、幻視が少年に対して幻聴の言葉を語っている。幻聴は、少年の「…やっぱり……ダメなのか?… …どうしても…無理か?」という問いかけに対して、「…決まってるんだ」という、少年の生存にとって究極的な言葉で応える。この「決まってるんだ」は、<我々自身の無意識>が少年の生存に対して語る「最後の言葉」であると同時に、<少年自身の無意識>となった言葉が少年に対して語る「最後の言葉」でもある。この言葉に遭遇した少年は、「…そうか…決まってるのか…」と呟いて自殺する。他者を欠いた時空における<幻視>と<幻聴>の強制力のもとで、少年が追い求めた「普通」という生存の行き着く先=死が、「宿命」として少年に告知される。少年にとって、「普通」とは、声=幻聴となった<我々自身の無意識>が、すでに決定済みの「宿命」として告げる自滅=死を意味する。
この物語を「統合失調症」や「人格障害」といった症例に固有なエピソードとしてとらえ、我々はそれと無縁であると言うことはできない。むしろ、「氾優生主義」は、すでに我々自身の生存を自然な形で包み込んでいる。ここで「自然な形で」とは、それに対して問いを発することが困難な無意識のレベルでということである。我々は、すでに<我々自身の無意識>に包囲されているのだ。だからこそ、新たに思考し分析を始めなければならない地点は、まさに少年が自らの生存を抹消したあの限界地点に他ならない。

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